日本とのかかわりあいは中学生時代に遡ることができます。
あるきっかけで、小学校卒業後に上海市甘泉(かんせん)中学(現上海市甘泉外国語中学)の日本語クラスに進学しました。高校卒業時に、日本へ留学するチャンスがありました。外の世界を見てみたいという勢いで、2000年に千葉県にある城西国際大学に入学しました。当初の専攻は国際経営学でした。大学3年生の時、学内他専攻履修制度を利用し、日本語教育学の入門講座を一つ履修しました。初めて授業を受けたとき、醍醐味を味わったような響きはいまだに鮮明に覚えております。「これこそ勉強したい学問だ」という声が脳裏をよぎりました。私の人生はその瞬間から大きく変わりました。
その後経営学の卒業論文をまとめながら、日本語教育専攻修士課程の入学試験を準備していました。2005年4月、念願通りに東京学芸大学教育学研究科日本語教育コースに入学することができました。
修士課程1年目の冬。教授経験が積めるように、私は日本語教師になるための就職活動を始めました。当時履歴書だけで50通に上るほど投函しました。これらの2/3は消息が絶ちました。返事をもらった学校のほとんどは「中国人?日本語を教える?すみません、外国人教師は採用しない」といった具合です。最後一か所だけ面接のチャンスをくださった日本語学校がありました。採用されてから半年後に知った真実ですが、当初私の履歴書を見た校長先生は好奇心にくすぐられ、日本で日本語教師になりたいという世間を知らぬ中国人は、いったいどんな顔をしているのだろうか、見てみたいということから、私には唯一のチャンスが舞い込んだのです。幸運の女神様のご光臨により、私はこのチャンスを掴むことができました。
2006年1月、助教として、私は初めて日本語学校の講壇に立ちました。
2010年4月、早稲田大学日本語教育センターに採用されました。センターの非常勤教師として、2014年の年末まで仕事をしました。いまは教員籍を保留している状態です。
2015年1月、家族一同愛知県の知多半島に引っ越しました。便利な都会から離れ、どうしたら好きな語学教育の仕事を続けられるのか?インターネット!がこの問題を解決する糸口となりました。大海語言教室の発想はここから誕生したのです。その後3年間の模索と展開を経て、2018年5月に大海語言学院(かいごげんがくいん)が正式に発足しました。
学院はまだ歩み始めたばかりで、やらなければならないことが山ほどあります。自分の目標に向かって、失敗に恐れず、まっすぐ前進すれば、必ず夢に近づけていくと心より確信しております。大海語言学院のLOGOのごとく、KAI旋号の帆をあげて、一緒に言語の海を航海しましょう。